カトリック青年・教育派遣
【目的・趣旨】
キリスト教教育修士会(FIC)は、ラムネ精神に基づき青少年を教育する団体である。
今回の目的は日本の青年がFICのウガンダの学校で、教育活動の手伝いをすること。
具体的には、日本の大学生及び社会人が修道士と生活しながら、時にはともに祈り、FICの学校では日本の文化を元に授業の一部を担当する |
【目次】
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1.メンバー紹介
2.ウガンダの地図
3.旅行日程
4.費用、持ち物、注意事項
5.感想文
6.活動フォト(アルバム) |
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【メンバー紹介】
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<Smile Kazuto>
・ 鈴木和人
・ 記録係
・ 25歳
・ Smile creator (ストリートパフォーマー)
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<Wild Kato>
・ 加藤雅史
・ 旅行係
・ 24歳
・ ジャーナリズム専攻
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<Shy Shun>
・ 只埜俊太郎
・ 編集係
・ 23歳
・ 研究者
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<Wonder Yamada>
・ 山田岳史
・ 隊長
・ 22歳
・ 医学専攻
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<Tatsu out of service>
・ 伊原竜也
・ 副隊長
・ 21歳
・ 教育学専攻
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<Curious Koji>
・ 浦野剛治
・ 引率
・ フリー(元教諭)
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【旅行日程】
2月25日(木) |
18:40 |
羽田空港に集合 |
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20:40 |
羽田出発 |
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22:00 |
関空着 |
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23:20 |
和人も合流して関空出発。 |
2月26日(金) |
5:40/
8:25 |
ドバイ乗換え
途中、アディスアベバに立ち寄る
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14:45 |
エンテベ空港着 Bro.ジェラルド先生がバンで迎えに来てくれる 夕の祈り。 |
2月27日(土) |
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Bro.スティーブン先生学校見学。和人、小学校の教室でパフォーマンス。
その後観光。ヴィクトリア湖で乾杯、半野生の動物園でカンムリ鶴を見る子供たちとミサ |
2月28日(日) |
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主日のミサ。 Bro.スティーブンと観光。ナイルの源流とBujagaliの滝見学滝下り |
3月 1日(月) |
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和人、初回のパフォーマンス |
3月 2日(火) |
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加藤、只埜、和人授業。夕の祈り |
3月 3日(水) |
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山田、只埜授業。夕の祈り |
3月 4日(木) |
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Bro.ジェラード先生と観光マサカ。2つの姉妹校を見学、ブラザーたちに挨拶。 和人、パフォーマンス。EQUATORで北半球と南半球に片足づつ置いてまたぐ。 |
3月 5日(金) |
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山田、加藤授業。夕の祈り |
3月 6日(土) |
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朝ミサ。Bro.スティーブン先生と観光。世界遺産KasubiTombを礼拝。 ウガンダ博物館で太古の人骨に面会、ウガンダ日本大使館で門前払いをくう。 国立劇場の敷地内のみやげ物街で買い物、50軒以上の店楽しい。 |
3月 7日(日) |
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主日のミサ。昼食後、エンテベ空港へ、途中CD焼き増し店に入る、出発時間迫っている! |
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16:20 |
エンテベ空港から出国 途中、アディスアベバに立ち寄る |
3月 8日(月) |
0:35/3:30 |
ドバイ乗換え、余裕の2時間、みやげ物など買う |
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17:20 /18:45 |
関空着発、解散、圏外、和人、浦野帰宅 |
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19:55 |
羽田着。加藤、只埜、山田解散 |
【費用】
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レート 1ドル=1,920Ush |
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・飛行機代(航空代金+燃料サーテャージャー+空港税) |
155,150円 |
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・パスポート申請代(5年用) |
11,000円 |
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・VISA申請代 |
8,600円 |
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・接種代金(黄熱病とA型肝炎) |
8,530円+8,800円くらい |
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・滞在中の観光費などの雑費(宿泊費+3食食事を除く) |
20,000円くらい |
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【持ち物】
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- 学校の校内で着る制服に準ずるもの(上下2組)
- 蚊帳(ウガンダの修道院にはあった)
- 香取線香
- 虫除け・・・DEETが多いほうが良い。
- 折りたたみ傘
- サングラス
- 懐中電灯
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【注意事項】
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- 生水を飲まない
- 生ものを食べない
- 財布を外に出さず、お札をポケットに入れてそこから支払う。
- 手荷物は肌身離さずにし、重要な書類は学校の寮に置いておく。
- 路上での買い物は値段の交渉をする。半額にまで減ることもあり。
- 洗濯物は滞在中一回してもらうことができた。
- 当時(2月下旬、3月上旬)は雨季だったので、雨具は必須。但し午後にはいつも晴れる。
- ガラス瓶にはデポジット料金がかかっていることが多く、返却しないとお金が戻らない。
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【報告】
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ウガンダを訪れて
伊原 竜也 |
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2010年2月、約二週間、ウガンダで過ごさせて頂きました。現地の先生や生徒、多くの人々の温かさのおかげで、とても快適に過ごすことができました。一昨年には、フィリピンに行かせていただいたのですが、その時とは、また違った発見や楽しさがありました。
私は教育にとても関心があり、ウガンダは日本とは大きく異なった環境の中で、生徒はどのように学んでいるのか、先生はどのような教育方針の上で、生徒と関わっているのか知りたいという思いと、実際その事を知るには、学ぶには、現地にふれることが大事だという思いから参加することにしました。
多くのスタッフや現地の先生方のおかげで、色々な所を見ることができ、色々なお話を聞くことができました。印象的だった事の一つに、子どもたちの授業に対する姿勢があります。子どもたちの授業の時の眼がとても輝いていたのです。多くの事を学びたいという姿勢がとても感じられました。また、私はあるスタッフの医学の授業のアシスタントをしたのですが、その授業の時にも、最後に質問で多くの医学に関する質問が、生徒の方からたくさん挙げられました。推測になってしまうのですが、学ぼうという姿勢と、多く問題とされている病気がウガンダにあることから、救ってあげたいという気持ちがあるのではないかと感じました。日本では、個人主義が強いのですが、ウガンダでは自分一人の幸せではなく、家族などといった多くの人々の幸せを考えているようでした。他にも、貧富の格差の問題や、教育援助の問題、宗教に対する考え方の変化など、多くの貴重なお話を聞くことができました。
本当にフィリピン同様、多くの素晴らしい経験ができました。教育と同じようにまずやってみることの大事さを改めて、感じることができました。このように今思えるのも、キリスト教教育修士会をはじめとする、多くの方のおかげです。本当にありがとうございました。
最後になりますが、これからもこの活動の発展を願って、これから参加するスタッフに向けた言葉で、最後とさせて頂きます。
私の好きな詩人の言葉にこのようなものがあります。
その時の出会いが、人生を根底から変えることがある。よき出会いを。
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憧れのウガンダ
加藤雅史 |
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私は、大学に入学して2年目になった頃からアフリカ大陸に行くのが、願いだった。人類発祥の地であり、今なお多くの自然が残された未開拓地であり、長年くすぶり続ける紛争と政治的混乱は、戦場カメラマンを目指す私にとってその大陸は、私の好奇心を引きつけている。
今回参加したのも、私の希望を叶えてくれる恰好の機会だったからだ。傍から見れば、就職活動中の既卒生が、3月という就職活動激化期に、ウガンダに行くこと自体無謀である。しかし、大学卒業直後就職するという社会的既成概念に、私は強く反発していたし、私の知らない世界を見たいという気持ちが強かったからだ。
そして、今回の教育派遣は単なる観光とは違い、ウガンダの人々と実際に交流しそして、現地の人々の生活に入るという事に、大きな魅力を感じていたからだ。
実際に、ウガンダに行くに当たり、私は、ウガンダという土地を余りにも知らない事に気づかされた。東アフリカに位置する国で、ルワンダと隣接しており、長らく内戦が続いているという事は知っていたが、それ以外の事は一切知らなかった。私は、観光担当という役職を拝命し、実際にウガンダという国に付いて調べてみると、日本で得る事の出来る情報の少なさに驚いた。それは、日本人がウガンダに対する関心の低さをまざまざと、見せつけられたように思えた。
現地の状況が全く分からないという不安と、憧れのアフリカの大地を踏むという興奮が混ざったまま、ウガンダ行きの飛行機に搭乗した。ウガンダのエンテベ空港に最終着陸態勢に入った、私たちが搭乗するエミレーツ航空機内では、機体下に装着されたカメラが写すウガンダの風景が、背もたれに設置されたテレビスクリーンに映し出された。濃い緑の林の間を、縫うように走る赤茶色の未舗装道路。そして、着陸すると、国連機が並ぶ滑走路。将に、私が思い描いていたアフリカのイメージだった。
現地のブラザー・ジェラルドと空港で会った時、回りに居る人々が、黒人ばかりで、恥ずかしながらやっとアフリカに着いたと、認識した。
ウガンダに着くと、みんな一斉に、経由したドバイ空港で購入した防虫剤を露出している肌に塗った。日本で販売されている防虫剤は、効果が弱く、全く役に立たないといわれていたので、ドバイで防虫剤を購入した。私たちが、一番恐れたのは、マラリアだ。ウガンダには、二日熱、三日熱、熱帯熱マラリアが蔓延しており、ウガンダ人にとってそれは、深刻な問題だったからだ。私は、予防薬を毎日一回摂取し、一日3回防虫剤を塗り、寝るときは、蚊取り線香を焚き、防虫ネットで加工されたジャケットを着て、蚊帳の中で寝た。毎朝起きると、蚊に刺されていないか確認して、刺されていない事が分かると、ほっとする毎日だった。
皆、異常なほど蚊に対して、神経質になり、蚊が一匹部屋に居ると、殺すまで寝ない人もいた。
ウガンダでの滞在期間、「蚊」と「停電」が私たちを大いに悩ませた。
キスビに滞在中、私たちは、土日には、ビクトリア湖、ナイル川、動物園、カンパラ、ジンジャ、マサカ、そして赤道を訪れた。非常に過密なスケジュールであったが、美しい自然とその中で生きる人々の力強さ、ウガンダの多種多様な文化を肌で感じる事が出来たのは、幸いだった。
全校生徒約1000人のSt.Mary’s College(中高校に相当)の学校長と教務担当者との、授業打合せをしてゆくうちに、私の英語能力の低さを思い知らされた。そして、皆からの要望を、的確にそして間違いの無い様に通訳するのは、思いのほか精神力と体力が必要だった。
その他は、火曜日、水曜日、金曜日の3日間は、授業に向かった。私は、日本人精神の真髄である「武士道」を授業の課題に選んだ。最初の授業は、高校3年生に教えた。50人くらいの生徒が、教室に居て驚いた。日本で何度も練習したから、大丈夫と自分自身に言い聞かせたが、緊張で自分の声や手が震えているのが分かった。「武士道」は、哲学であるので好き嫌いが分かれ、単に自分が書いた文章を読んだりすると、退屈な授業になってしまう。そこで、漢字を使ったり、図を書いたりして、生徒の興味が薄れるのを防いだ。
話しながら黒板に図や字を書くのは、高校時代に、友達に日本史を教えていたので、まさか、その技術がこんなところで応用できるとは思わなかった。
授業が終わると、封を切ったように、生徒から次から次へと質問が来た。それは、武士道の事から日本の経済、文化、歴史と多岐に渡っていたので、知る限りの全てを答えてあげた。この時、「日本人が外国に行った時、日本の事を多く聞かれる、だから、海外に行く時は、日本の事をよく学んでから行かないと、恥をかくぞ」と、留学前に父に言われた言葉を思い出した。生徒から色々質問されてゆくなかで、私の知識はまだまだ半人前だと、痛感し、もっと多岐にわたる日本についての知識をつけなければ、恥をかくと強く感じた。
更に、大学を卒業して既に10カ月が経過しており、学校の雰囲気を忘れかけていた。このウガンダでの授業をした事以来、もう一度学校に戻って何か勉強をしたいという強い気持ちが湧いてきた。それは、St Marry’s Collegeの生徒の学ぶ事に対する真摯な姿勢と、世界に対する猛烈な好奇心に刺激されたからだと思う。
鈴木君や只埜君、山田君の授業を見ていて、私は、自分の授業がまだまだ詰めがあまいと強く思った。それは、教えるという事は、自分がその分野に関して100%以上か、それに近い位の完璧な知識を備わっていなければならないと、生徒が彼らに向ける質問を聞いていて感じた。授業が終わると、自然と反省点や改善点を言い合った。それは、恰も「ここは、こうしたらいいと思うから、俺もこうしてみよう」と自分自身に言い聞かせているようだった。この自然的に発生した反省会は、生かされて2回目の授業になると、皆円滑に、そして、リラックスしながら授業をしていた。
僅か10日間のウガンダ滞在であったが、非常に有意義な時間を送る事が出来た。就職活動の真最中ではあったが、ウガンダに行って悔いは無かったといえる。
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ウガンダ教育派遣2010
鈴木 和人 |
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私は現在、大道芸を本業とする芸人であります。そんな私が、今回ウガンダに行くことを決めたのは、「自分の知らない世界を見ること」そして「“それ”を伝えること」をしたかったからです。
ウガンダに行くことが決まり、最初にしたことは、ウガンダに関する文献を読むことでした。私がウガンダ教育派遣で出来ることは何かを知るためです。
ウガンダの歴史を学び、文化、価値観を予備知識として持っておきたかったのです。
文化を知ることで、自分の持っている“何”を伝えるべきかを選びたかったのです。
しかし、そこで読んだ歴史は、想像の域を超えた、苦労と悲しみに満ちていました。
「チャイルドソルジャー」の歴史です。
私のような人間が、こんな歴史を歩んできた国で笑顔を創ることが出来るだろうか?私のような未熟な人間が、この国で教育に一瞬でも触れていいのだろうか?私の考え方は理解してもらえるだろうか?たくさんの不安、疑問が生まれてきました。
しかし、次に出合った本に考え方を変えるきっかけがありました。ウガンダにおけるHIVに関する問題を記した文献です。
そこには、目を覆いたくなるような悲惨な実情と同時に、こう書かれていました。
「―でも、そんな中で彼らは笑い、泣き、日本に住む我々と同じように精一杯生きています。」これを読んで、私は思いました。「見なければいけない」本やテレビ、インターネットから入ってくる情報に左右されるのではなく、自分の足でそこに立ち、見て、聞いて、感じることで、自分にとっての“本当”を選ぶ必要があると考えました。
この段階で、ウガンダで僕ができることは、今、僕が大切にしていることを素直に伝えることに決まりました。
そして、実際に行ったウガンダは、やはり想像とはまったく違いました。フィリピンでも感じた格差社会。これが、見事に現れていました。
キレイに芝で整えられた庭に立つ赤レンガのお洒落な建物に、トイレとシャワーを完備した個室がありました。コミュニティーの中は整然としていました。しかし、敷地を出て少し歩くと、そこには、ボロボロの小屋が並び、素足の子どもが上半身裸で立っています。
彼らは何を感じて、何を思っていたのでしょうか?今だに分かりません。
今回の旅では、英語でのコミュニケーションを得意な仲間に任せてしまい、自分から滅茶苦茶な英語でも関わろうとすることを怠けてしまいました。大きな反省点です。
もしも、またチャンスがあるなら、次は自分から積極的に関わっていきたいと思っています。
今回の旅で見たウガンダは、本当に極々一部でしょう、でも、私の感じた本当のウガンダです。
これからも、未知のものを恐れずに、関わっていけたらいいと思っています。
この度、貴重な素晴らしい体験をするにあたって、お力添えを頂いたブラザーをはじめ、先生方、教育修士会の皆様には大変感謝しております。
ありがとうございました。
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ウガンダ滞在で学んだこと
只埜 俊太郎 |
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今回のウガンダ教育派遣は、短時間の間に多くの人と出会うことができた。このことが自分自身と向き合う機会を与えてくれ、自分を大きく成長させてくれた。そして、自分の求めること、伝えたいこと、知りたいことなどを相手と分かち合い、人間関係を育むためのコミュニケーションがいかに難しいかを学ぶ良い機会だった。ウガンダ派遣にあたり,
お世話になった方々には本当に感謝している。
まずは、自分たち派遣メンバー。会合で何回か会っているとはいえ、それまで面識の無かった人たちと一緒に10日以上見知らぬ土地で寝泊りするのは、とても新鮮な経験だった。個人個人に部屋があてがわれたが、朝のミサに始まり、3度の食事、学校や旅行、一日の殆どを共にすごした。初めの数日間はとても忙しく、なかなかお互いのことを知る時間がなかったが、スケジュールに余裕ができ、徐々にお互いのことが分かるにつれて、新しい一面を相手のなかに発見したり、逆に自分の中の新しい一面も発見したりした。メンバーがそれぞれ自分の道を歩んでいて、刺激的だった。
キスビでも様々な方にお世話になった。特に修道士の方とは食事、外出を共にすることで、会話をする機会が多くあった。その幸運な機会のお陰で少しばかりウガンダの修道士たちの考え方、生き方が見えてきてとても興味深かった。特に修道士の方とお会いするのは、横浜で出会った方以外では初めての体験で、自分の修道士に対するイメージが随分と変わった。それまでは何となく修道士はまじめで人間くさくない堅苦しい人が多いと思っていたのだが、ウガンダの修道士でそのような人は少なく、心の優しい人ばかりだった。さらにジェラルド管区長の取り計らいで色々な場所の学校を訪ねることができ、そこでも色々な修道士の方とお会いすることができた。殆ど話す機会が無かったのが残念だったが、キスビの学校と違う環境、雰囲気を知ることができて大変良かった。
また、自分の授業を持つということで色々とコミュニケーションいついて学ぶことができた。特に一回目の授業はあっという間に終わってしまい、自分でコントロールできたとはあまり思えなかった。その後、メンバーから指摘された部分を改善し、次の授業のために、内容も振り分けられた科目と生徒に合わせて変更を加えた。それによって二回目は一回目よりだいぶ良くなったと思ったが、色々な課題がさらに見えてきた。特に自分のメッセージをうまく伝え、相手が楽しみながら聞ける授業にはまだまだ遠いと思った。しかし、生徒と先生のお陰でスムーズに進行し、全体的にはうまくいったと思う。生徒の聞き入っている瞬間が分かったのはとても面白いと感じた。次回は自分の講義をビデオに収めて研究したいと思う。
授業に関しては、他のメンバーの授業を見ても色々と勉強になった。特に教える側のカラーが授業に現れているのはとても面白い。メッセージをどのように伝えるか試行錯誤していたり、突然のアクシデントや変更にとてもうまく対応して、聴衆にそれを気づかせない場面を何度か見て、そのメンバーのすごい一面を垣間見たときもあった。予定外の出来事にうまく対応するには、経験を積む必要があるのだろう。残り時間、生徒の状況、自分の状況などを俯瞰しながら授業していくのはまさに「教える技術」だ。また、話しながら黒板に書くのは想像以上に大変だった。生徒からの好奇心にあふれた容赦の無い質問をメンバーがされているときは自分なら答えられるかどうか、またどう答えるかを常にシュミレーションしていた。自分の回答とメンバーの回答を比べることで、バイアスのかからない正確な情報を伝える大切さ、他人に伝えることを前提とした情報の収集の仕方など自分のコミュニケーション方法の改善点が見えてきた。
また、全般を通して、しばしば通訳をする機会があった。この作業はまさに情報を伝えることの難しさ、大切さを教えてくれるものだった。自分では相手の話を理解していたつもりでも、実際に他人にし説明しようとすると、相手の話の内容を断片的にしか理解していなくて戸惑ったこともあった。相手が言った全てを同時通訳することの難しさ、相手の意図を反映しながらの通訳は困難だった。どのようなニュアンスで言っているかなどの基準がまだ自分の中で確立されておらず、通訳に関しても修行が必要だと強く感じた。
このようにウガンダ派遣は、様々な人と関わるなかでどのようにコミュニケーションをすれば、人間関係を豊かにすることができるかを考える良い機会になった。あらためて、お世話になった方には感謝を申し上げたい。そしてウガンダに自分が何か貢献できることがあれば、何でもしていきたいと思う。
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ウガンダ派遣を終えて
山田 岳史 |
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私は2008年のフィリピン青年教育派遣にも参加しましたが、それに続いて今回のウガンダへの旅にも参加させていただきました。前回の旅があまりに面白く、さらに遠く、未知の地であるウガンダにはもっと面白い事が待っていると考えたからです。実際、ウガンダには想像もしない世界、生活が待っていました。
ウガンダに着いてまず驚いたのは、鳥や草花がとても美しいという事でした。鳥たちは色も形もきれいで鳴き声は美しく響き、草花はとても鮮やかに大地や空に映え、空気もとてもおいしかったです。さすがウガンダはアフリカの真珠と呼ばれるだけあって、全身黄色のインコのような鳥たちが一つの木に何十もの巣を作っていたり、体長150センチにもなる鳥がカラスのようにうろうろしていたりと、とても野生的でした。
文化も日本や他の世界でも体験した事のないものばかりでとても興味深かったです。赤土の道を泥だらけで走る多くの日本の中古車や、腰や足にマラカスのようなものを巻きつけて踊る精気に満ちたダンス、未熟なバナナで作り、甘くない主食マトケや他の数々の食べ物。私はウガンダに来て、多くの知らなかった世界を垣間見ることができました。世界について知り、見聞を広げ、以前より広い視野を持つ事ができるようになったと思います。
でも、この旅でそれ以上に貴重だった事は、現地の人とふれあい、現地の生活に少しでも溶け込めたことだと思います。これこそが観光地を巡るだけの旅行とは違う、この教育派遣の醍醐味だと思います。実は、フィリピン派遣を終え再びウガンダ派遣に参加したいと思ったのは、これをしたかったからです。現地の修道院の方々にはいろんな所に連れて行って頂いたり、一緒に食事をさせて頂いたりしましたし、その時修道院に泊まっていたルワンダやカナダの方とも食事の時間を通じてたくさん話し合うことが出来ました。授業の日には質問の時間などを通じて互いの事や互いの国の事について子供たちと分かり合う事ができました。昼食も職員の方と職員用の同じ食事を食べました。別の学校を案内して頂いた時には、現地の踊りで迎えて頂きました。
今回の旅は本当に充実していて、とても貴重な体験をする事ができました。今回の旅を提供してくださったキリスト教教育修士会を始め、引率してくださった浦野先生、他の様々な方に感謝します。本当にありがとうございました。
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夢を作る国ウガンダ
付き添い 浦野剛治 |
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第1回目の「ウガンダ教育派遣2010」は驚きに満ちたものでした。
まず、ウガンダは遠かった。途中乗り継ぎのあるものの飛行機で所要時間が24時間。
さすが日本の裏側である。
気候は赤道直下で1年中変わらない。平均気温が23度で極めて快適。しかも、神は人類発祥のアフリカに多くのものを与えた。快適な気象条件と保水性の良い土。そこからは豊富な農作物が得られる。主食のバナナは店の棚にも店先にも山積みである。他に米・かぼちゃ・豆類など。大きなビクトリア湖からティラピアという中型の魚がたくさん採れる。先進国に棲む人間のような贅沢を言わなければ普通の人は食に困らないだろう。「アフリカと言えば飢餓」の映像を見ている国の者にとっては救いである。家の周りにはいつも鳥がさえずっている。アフリカのシンボルにもなるアフリカハゲコウという体長1,5mのコウノトリも普通にいる。はじめて見たときはその大きさにびっくりしてしまう。が、常にみられるとはなんと素晴らしい自然環境だろう。
食が充分だと人はのびのびと生きられる。ウガンダの人々は明るく屈託がない。しかし人間、便利さ豊かさの願望は強い。便利さ豊かさのシンボルは車だが、幹線道路は舗装されていて車の量は先進国並みに多い。道路は穴ぼこも多いが車の乗り心地は二の次、スピードもかなりのもので快適にとばす。
また一歩、幹線道路から外れるとそこには緑の自然がいっぱい。そして村の中には充分な場所をとって赤レンガの教会と白く明るい学校がのびのび建っている。キャンパスは芝生などよく手入れされていて高等学校なのに大学を思わせる風景で、黒っぽい学生の制服が良く似合う。高等教育を行う校内は、備品充分とは言えないが懸命に学習をしている学生の気迫が伝わってくる。授業を聞く真剣な眼差し、丁寧に筆記しているノート、きびきびした姿勢からもそれが伺える。また、教員にはそれを上回る情熱を感じる、授業は全く静かで先生の声だけが響く。学習や研究は義務でやるものではない。自ら求めてやるものだ。ウガンダには学問に対する初心の新鮮さが感じられる。日本での教職の経験者からすると大変うらやましい。
国のすみずみまでヨーロッパや北米からの宣教師によって学校ができていて、教育が町や村の文化を先導しているという印象を受ける。これだけ学校教育が浸透していれば、そこから卒業して行く生徒によって予想以上に早く国が技術面をはじめ文化面にも大きな収穫をもたらすことでしょう。ここ数年、政治的にも安定しているそうなのでこれからの進展が楽しみである。これからも見守って行きたい国の1つである。
今回の企画の目的はこれから新しい社会をつくる青年が現在の受けている学問を確認しあい、励ましあう機会にすることである。授業や話し合いを通じて目的を果たせたと思っています。
企画・実施の段階で日本にいらっしゃるBro.トマス先生、準備の段階でBro. モリセット、Bro.マルセルの先生方に、実施の段階でウガンダの Bro. ジェラルド、Bro.エドワード、Bro.アローシャス、 Bro.スティーブンの諸先生方にお世話になりました。厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。
【活動フォト(アルバム)】
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