日本における修道会の活動の歴史

ガブリエル・デヘー神父 |
キリスト教教育修士会 は、ジャン・マリー・ド・ラ・ムネ神父とガブリエル・デヘー神父によって創立されました。神からの特別な呼び掛けに応え、共同体の生活と神の民、特に青少年への奉仕、とりわけ貧しいものにキリスト教教育と指導を通して奉仕するという誓願を公にたて、自分の全てを神に委ねようとする人々を呼び集めています。
この修道会には当初から創立者によって宣教の使命が与えられています。1838年アフリカにおいて教会の働きが必要とされていることを知った創立者はブラザーたちと相談の結果、数人のブラザーを宣教のために国外に派遣しました。そして、その168年後の1951年、宣教のために日本に初めてカナダ人ブラザーたちが降り立ったのです。 |
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ジャン・マリー・ド・ラ・ムネ神父 |
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ジャン・マリー・ド・ラ・ムネ尊者略伝 |
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<子供たちをとめるな、私のところに来るのを邪魔するな(ルカ伝第19章第14節)> このキリストのみことばこそ、ジャン・マリー・ロベール・ド・ラ・ムネ尊者のすばらしい生涯と、輝かしい業績とを端的に表現しているといえよう。
ラ・ムネ尊者は1780年9月8日、フランスはブルターニュの、サン・マロに生れた。やがて僧職につき、それから続く56年間の司祭職を通じて、教育という分野における挺身的な努力は、まことにめざましいものがあった。
1817年には教育に従事する修道士の団体、すなわち「キリスト教教育修士会」をフランスのプロエルメルにおいて創設し、やがて数多くの信仰に基づく学校をつくりあげることになった。
修道会はカナダで1886年に発足した。会はスペイン、イタリア、イギリス、アメリカへと広がった。これらの諸国では、ただちにキリスト教教育修士会に子弟を入会させ、宣教を援助した。その後、ウガンダ、タンザニア、ルアンダ、ブルンディ、ザイール、セーシェル諸島、アルゼンチン、ウルグァイへと広がり、日本には、1951年に新しく会を設立したのである。 |
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日本におけるF.I.C共同体とその使命 |
| 1951年7月20日 |
最初のカナダ人ブラザーが来日 |
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| 1952年 |
加曽台に本部を設立 |
| 1954年 |
セントメリーズ・インターナショナル・スクールを開校 東京泉岳寺
少年の町 南林間(〜'61) |
| 1956年 |
さゆり幼稚園を開園 加曽台 |
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| 1958年 |
聖光学院を開校 横浜滝上 |
| 1961年 |
猪苗代修道院を開設 |
| 1969年 |
静岡聖光学院を開校 静岡 |
| 1971年 |
セントメリーズ・インターナショナル・スクールを上野毛に移転 |
| 1987年 |
フィリピンに修道院を開設 |
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150th |
船に乗り込む |
死の前の短い間,ジャン・マリー・ド・ラ・ムネーは、彼の同胞達に手紙を書きました。「親愛なる修道士よ、主は近づき給う。あなた達は今、立ち上がり、新しい熱意をもって歩き出すのです。天の恵みのその時に、十分な収穫ができるよう、豊富に種をまくことをお互いに奨励しなさい。」
彼自身、待ち望み続けた永遠のすばらしい土地に近づく準備をしながら、彼の同胞に「収穫の地」の広さを示すのを、彼は止めませんでした。
愛の膨大さは彼に永遠の渇きを感じさせ、彼を満たした偉大な伝道の霊感を彼の修道士に譲り渡したいという大きな願望を与えました。だからこそ、そういう理由で、奴隷を自由な人々にする準備をするために、彼は修道士たちを西インド諸島に派遣しました。
彼が生きた最後の年、彼は、彼の愛を共有し、平和を成し、生命をいきわたらせる願いで、絶え間なくいっぱいな内なる熱情に迫られていたので、彼はタヒチのこの遠い島に、再び乗り込むことを彼らに勧めたのです。
彼が種をまいた事物は、枯れるはずがありません。我々は、彼の呼びかけを感じ取ろうではありませんか。
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